食事日記。
B5ノートには自然食を中心とした食事の日記をつけていた。ほんの3~4か月ではあったけど、食の大切さを遺しておきたかったんだと感じる。 胃袋を満たすだけの食事。 ドカ食い。 栄養を考えず、夜中でも食べた反省。...
View Article昔からの「手当方法」を知る。
昔の人は痛みとどのように向き合い、つきあったのだろうか。化学薬品が出る前に、人も感覚的、経験的に「緩和」を求め、得てきたと思う。その国、その土地で見かけるもので、いろんなものを試して今の「痛みどめ」があるんだなって思う。 ゴンザレスが試したものをご紹介しておきます。 ひまし油、ひわの葉、しょうが、さといもを混合し温めたものをタオルにくるみ、患部(腫瘍」にあてるもの。...
View Articleあきらめないで。
研究も日進月歩の現代です。 癌の研究も進んできており、体液血液のガンだって治癒率がう~んと高くなってきています。ですので、あきらめないで出来る限り治療を続けてください。心がヘタってしまいそうにもなりますよね、家族の支えが申し訳ないように思えることもありますよね。 だけど生きてください。...
View Article末期の末期①
ゴンザレスの軌跡をちゃんと記そうと書いてきたブログ。 筆が止まってしまって5か月になった。 死期のゴンザレスを想いだすと、何をどう描いていいかがわからなくなった。 また、これを読むことで悲しくなったり、苦しくなったりしないか?とも感じた。 ・・・記したいことがたくさんありすぎて、なさすぎて。 7月~8月17日(誕生日で命日)まで、ゴンザレスは入退院を繰り返した。...
View Article末期の末期②
健常者にとって「一週間」ってなんでもない時間かも知れないけど、本当は誰にとっても大事な・かけがえのない「何気ない時間」なはずだ。 それをこの足の変化で改めて感じる。ゴンザレスの足は6日後にはこうなったのだから。...
View Article末期の末期③
再入院して、ドクターは険しい顔をしてこういった。非常に厳しいと思います、覚悟をしておいてください。ただし・・・と、付け加える。緩和・終焉の医師はここからが違う。人の命は誰もわかりません。と、いう。この意味は、緩和終焉の治療をみてきた患者や家族ならご理解いただけると思う。そうした病院で働く看護師さんもすごい・・・。...
View Article末期の末期④
覚悟はしていた。 とうとうその時が来たよ!姉も私も冷静だった。今にして振り返ってみたらの、セリフだけど、ただ・・・ただ、せめて・・・誕生日までこの世に居て欲しい!と願っていたと思う。 見届けよう!! 医師によればもうゴンザレスの意識はないはずだと言う。しかし、私たちにはどうしても「最後の最後、お別れをどうしても言いたい!」と、訴えているかのように思えた。半端じゃないエネルギーを感じた。...
View Article母からの見舞い品。
それは布でできた『和菓子』でした・・・。ゴンザレスにはどうしても自分の母のことを許せない出来事がありました・・・。それでも、許そう・・・と、葛藤していたのを覚えています。そんな母が闘病中に置いて行った見舞いの品が、この「和菓子」だったのです。 許さなきゃ、許さなきゃ・・・...
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